英語の力を、人生の力に。西東京市(田無駅近)にある、小学生からの英会話教室あうりんこENGLISH STUDIOで、主に成績アップの個人レッスンを担当しているSana(サナ)です。
実は私、英語圏の国に留学したことがありませんが、学生時代にドイツへ、社会人になってからフィンランドへ留学しました。
今回は私がドイツ短期留学の1ヶ月間で身につけたもの、と題してお伝えいたします。
それは決してドイツ語だけではありませんので、最後までお読みいただけると嬉しいです。
私にどんな化学変化が起きたか、想像しながら読んでみてください。
私Sanaは、大学でドイツ語を専攻していました。
ある日両親に「成人式の着物なんて着なくていいから、私に60万円を貸して!就職したら必ず返します!」と頼み込み、やっと行かせてもらったので、「この夏を絶対に無駄にしない!」という強い意気込みを持って参加したのが、ドイツのSommeruniversitätです。英語にするとsummer universityで、大学の夏期休暇中に行われるサマーコースのことです。
1)デュイスブルクでの生活
私のホームステイ先は、デュッサーンと呼ばれるデュイスブルクでも中心部でアパートを営んでいました。
ホームステイ先のお父さんとお母さんはアパートの1階、大学院生のお姉さんが彼と一緒に4階と5階で暮らしていて、私達がステイ中は、4階の寝室を空けてくれました。
4階にも小さな冷蔵庫のあるミニ・キッチンがあり、お母さんがいつもアップルジュースや炭酸水を常備しておいてくれましたが、朝食と夕食はお母さんが用意してくれるので、1階で食べていました。
ドイツでは、朝食と夕食はkaltes Essen(冷たい食事=パン、チーズ、ハムなど、調理をしない食事のこと)だと聞いていたのですが、お母さんが料理上手で、且つ、「日本人はいつも温かいものを食べるんでしょ?」と気を遣ってくれたので、朝食はkaltes Essenでしたが、夕食はいつもグーラシュ(ハンガリーのシチュー)などの温かいものを出してもらっていました。
大学側とのお約束では、ホームステイ先による食事の提供義務は、本来平日のみでしたが、週末も平日と同じように用意してくれました。
独身のワーキングウーマンのおうちにステイした同級生は、初日に「私、ベジタリアンなの」と言われ、朝な夕なお野菜ばかり食べていたそうなので、私は恵まれていたようです。
夏期短期留学の参加費には、通学に使用できる1ヶ月間電車・バス乗り放題の定期も含まれていましたが、私のホームステイ先と大学の間には、丁度良い交通機関がなく、私は、同じおうちにステイしていた同級生と、近くにステイしていた後輩と一緒に、片道40分かけて歩いて通っていました。
定期は、街や動物園に出掛けたり、郊外にホームステイしていた子に「遊びに来て」と言われた時に使う程度でした。
平日は毎日2時くらいまで、大学のキャンパスで、大学の教授達による授業を受けました。
クラスメートはフランス人が一人、それ以外はクラスの半分が私の大学の学生で、残りの半分はイタリアの大学の学生。
全員既習者だったため、授業は全てダイレクト・メソッド(ドイツ語をドイツ語で学ぶ)でした。
夏期短期留学の参加費には、大学の学食での昼食代(学食で使えるチケット)も含まれていました。
最初の2~3日は、「本日の定食」的なのを食べてみたのですが、これが形容しがたいくらい美味しくない(^_^;)
見た目は美味しそうなのに、想像と全く違う味。
フランス人のクラスメートに「これ、不味くない?」と聞いてみたら、「そう?普通だけど」と事も無げに言われたので、日本人の舌には合わないというだけだったのかもしれませんが。
とにかく、私は「もう無理!」と思い、それ以降、毎日「ヨーグルトどんぶり」というのを食べていました。
プレーンヨーグルトがボウルに並々と入っていて、コーンフレーク、ミュースリ(シリアルの一種。日本語ではミューズリーとも表記される)、数種類のジャム、フルーツなどが載っているもの。
「ヨーグルトだけじゃ、お腹が空いちゃうんじゃ…?」と思ったあなた、心配ご無用です。
ドイツの料理は、日本人からすると、どれもこれも量が異常です。
ヨーグルトどんぶりも、ご多分に漏れず、洗面器みたいに巨大なボウルだったので、毎日お腹いっぱいで、ヨーグルト好きには堪らない逸品でした。
ドイツの食事は日本人には本当に量が多いです。
例えば、レストランで食べるなら、フルコースはお勧めしません。
一人前のスープが洗面器サイズのお皿で出てきて、残さず飲んだら、後の料理が何も口に入らない…といったこともありました。
屋台で何かを買う時も、一気に人数分買わないで、取り敢えず一人前の量を確認しましょう。
1つ買えば2~3人でシェアできる量のことがままあります。
授業が終わると、街に繰り出す子達もいましたが、私はまっすぐ帰ることが多かったです。
4階にバッグを置いたらすぐに、1階のお母さんのところへ。
料理上手なお母さんは、大抵2種類のケーキを焼いて待ってくれていました。
私は元々甘いものが大好きで、「ドイツ人のお母さんのケーキは、日本のお母さんのお味噌汁と同じで、家庭の自慢の味。お代わりしてなんぼ」といったことを聞いていたこともあり、おやつと夕食後のデザートで、日に4~5切れは食べていました。ただ、1切れのサイズがコージーコーナーみたいなガツンとした感じ。
ベジタリアンのお姉さんのおうちにステイしていた友達は、後日、「ドイツにいる間、私は5kg太ったのに、なんでSanaさんは少しも太らなかったの?!」と怒っていましたが(^_^;)、毎日80分間歩いて、ヨーグルトどんぶりを食べていたおかげかもしれません。
私が寄り道もせずに、毎日まっすぐ帰宅していた理由は、そう!ケーキを食べるため…ではなくて、ケーキを食べながら、「今日は授業でこんなことを習ったの!」とお母さんに話すためでした。
日本の大学では、オーストリア人の先生のゼミに入り、ドイツ人の先生の授業や講義も積極的に取ってはいましたが、ドイツ語を話す機会が毎日あるというのは、日本ではそうそう得られない貴重な機会です。
私は元来人見知りで、雑談も苦手なのですが、何しろ、「この夏を絶対に無駄にしない!」という強い意気込みでドイツまで行ったので、「間違ったらどうしようとか思わない!言葉を覚え始めた、ちっちゃい子みたいな気持ちで、とにかく話す!」と決めていました。
2)デュイスブルク大学のサマーコースで体験したこと。
ドイツ語だけで行われる授業自体は、大学入学前の春休みに通ったドイツ語学校のハイデルベルクや、学生時代に春休みの度に参加したインターウニ(ドイツ語を勉強する大学生を対象としたドイツ語合宿)、大学の授業やゼミで経験済だったので、目新しいということはありませんでしたが、日本では指摘されなかったことを指摘され、意外だったことがありました。
「あら、あなたは「舌のr」なのね。このデュイスブルクに、ノルトライン・ヴェストファーレン(デュイスブルクが属する州の名前。世界史の教科書に出てくる「ウェストファリア条約」は、ドイツ語では「ヴェストファーレン条約」と言います)に来たからには、帰国するまでに「喉彦のr」をマスターして欲しいものだわ」とドイツ人の教授に言われたのです。
私は当時、rを舌を震わせて発音していました。それは南ドイツ(ドイツのバイエルン地方やオーストリア)の発音で、デュイスブルクなどの北ドイツでは、喉彦を震わせて発音する…ということは知ってはいたのですが、自分的には「外国人なんだから、どっちでもいいんじゃない?」という気持ちでいたのです。
その教授が、迫力のあるオバサマで、ちょっと怖かったこともあって、それから毎日歯磨きの嗽の後、お水無しで嗽の真似をする練習を繰り返し、帰国するまでになんとか「喉彦のr」をマスターしました。
ところが…大学卒業後に入社したドイツ系企業の本社は、南ドイツにあったため、今度はドイツ本社から出張に来た同僚に、「君の発音、すごく自然なのに、なんか変じゃない?どこでドイツ語覚えた?デュイスブルク?うわー、北ドイツ…だからかー」などと言われたりもしました。
毎週水曜は授業はお休みで、日帰り遠足がありました。
また、土日は遠方や泊まりの遠足もあり、ベルリンに行ったりしました。
私は方向音痴なので、海外旅行に行く度に、迷子になるのですが、夜のベルリンでも迷子になりました。
そんな私を心配して(どうやら、背が低いため、子供だと勘違いされたようです)、20人くらいの人だかりができたのですが…そんなに人が沢山いるのに、みんな地元の人なのに、私が持っていた地図を見せても誰一人として私が泊まっているJugendherberge(ドイツ版ユースホステル)の場所が分からない!
「ドイツ博物館の側なんですけど」と言っても、「ドイツ博物館なんて聞いたことないなぁ」と言う。
30分も歩けば戻れる距離のはずなのに…。
さて、どうしてだか分かりますか?
(世界史選択の高校生なら分かる…かも)
3)ホストファミリーやルームメイトについて。
お父さん…家具職人。
経営しているアパートの中庭の奥に工房があり、ランチタイムに居間に戻ってくる以外は、そこに籠ってもくもくとお仕事。
趣味はスポーツで、若い頃は地元のサッカーチームに入っていたそうです。
私達がホームステイをしている間の後半に、手術入院することが予め決まっていたそうで、最終日には「さようなら」を言えませんでした。
日本人なら「ホームステイの子を迎えるからには、家族全員揃っている時でなければ!」と気負ってしまいそうなところですが、ドイツ人家庭はもっと自然な感じ。
近所にステイしていた後輩は、「信じられない!」を連発していましたが、私達が到着した日、彼女のホームステイ先のお父さんとお母さんは旅行中で、迎えに来たのは23歳のお兄さんでした。
後輩が「数日間お兄さんと二人きり…一人で帰りたくない!」と言うので、授業の帰りに一緒に彼女のホームステイ先を見に行ったことがありました。
彼女の部屋はアパートのお父さんとお母さんの住む階にあり、お兄さんはその上の階に住んでいましたが、お兄さんはお父さんとお母さんの階にも出入りできます。
ただ…お兄さん
どう見ても、真面目な紳士で、ものすごく良い人。
自ら、「君の部屋は内側から鍵がかけられるから、心配ならかけておいてね」と言ってくれたそうです。
かわいそうなのは、数日間お兄さんと二人きりで過ごさなくてはならない後輩よりも、何にも悪いことをしていないのに、後輩に煙たがられていた、お兄さんの方ではないか…と思ってしまったものです。
何から何まで上手く行くとは限りません。
万が一、ホームステイ先と何らかの理由で合わなかった場合、事務局に申し出れば、家庭を変えてくれる場合もあります。
斡旋業者に申し込む前に、そういったことが可能かどうか、調べておくことも大切です。
お母さん…お料理上手な専業主婦
現代だけでなく、私が行った当時も、ドイツでは共働きが当たり前でしたが、お母さんが専業主婦だったのは、経営していたアパートが、お母さんが親から相続したものだったためのようです。
徐に見せてくれた白黒写真に、絶世の美女が写っていたので、「わぁっ♪女優さんみたいにきれいな人…!」と言ったら、「若い頃の私よ♪女優さんみたい?ふふふ~♪お父さんは若い頃から体重が全く変わらないんだけど、私はね…イヒヒ」とのこと。
お兄さん…見た目はイエティ。
一緒に住んでいるんだか、よそに暮らしているんだか、よく分からないものの、稀に1階の居間に姿を現す。挨拶をしても、こちらを見ないし、まともな答えは帰ってこない。マリア様か弥勒菩薩かと言うくらいいつもは慈愛に満ちた穏やかなお母さんが、お兄さんには存外手厳しい。全ては聞き取れなかったものの、たぶんうだつが上がらないお兄さんは、お小遣いをせびりに来て、お母さんからマシンガンのようにお小言を食らっていた模様。食事の時は思いきりリラックスできる居間が、彼がいるだけで、同じ場所とは思えない程、息苦しい空間に…そういう時は、「私、外国人だから、あんまり聞き取れないの~」という風情で、ニコニコしているに限る…と学習。
お姉さん(お兄さんの妹)…デュイスブルク大学の大学院で体育学を学ぶ学生。
スラッとしていて、美人で、お母さんの若い頃そっくり。
彼と同棲中。
お姉さんの彼…すごく背が高くて、顔があんまり遠いところにあるので、最初気が付かなかったものの、同じ目線に顔があると、ギリシャ彫刻にしたいくらいのハンサム。
日本贔屓。
坂本龍一のファン。
お姉さんと二人でミニキッチンでお皿洗いをしている姿は、なんだか微笑ましかった。
ルームメイト…日本の大学の同級生(日本のキャンパスでは会ったことがなく、ドイツに行ってから知り合いました)。
ドイツでホームシックにかかり、「あさげ(インスタントのお味噌汁)を持ってきて良かったー♪」とのこと。
私は海外では現地のものを食べる主義ですが、「日本食が全く食べられないのは、無理!」という場合は、インスタント食品を持っていくことをお勧めします。ドイツにしろ、フィンランドにしろ、昔より日本食が買えるところは増えていますが、値段は結構お高いです。
また、お米が大好きな場合、ドイツでもフィンランドでも、デザートとしてミルク粥(お砂糖やジャムで味付けする)を食べるので、お米はスーパーでも買えますが、大抵はタイ米です。ジャポニカでないとダメ!な場合、持参した方が良いです。炊飯器はもちろんないので、火加減に要注意!
ちなみに、ドイツでもフィンランドでも、お寿司屋さんが随分増えました。高くてもいい、何でもいいからお米が食べたい!という場合にどうぞ。但し、ある程度の諦念と覚悟を。私がフィンランドで食べたのは、「Sushi - Thai-maku(寿司 タイ風味)」と書かれており、ナンプラーで味付けした激辛海苔巻きでした。
ミーヌシュ…お姉さんが飼っている片目の潰れた白い猫。
お姉さんに拾われる前、人間に攻撃されたようで、警戒心が強く、私達が4階の寝室やミニ・キッチンにいる間は、隣の部屋のソファの下でじっと身を潜めたまま。
私達が出掛ける前に寝室のドアを閉めても、不在中に寝室に入り込み、ルームメイトのベッドの上はいつも毛だらけ。
私のベッドにはけして乗っからない…何故なら、その部屋には元々ベッドが1つしかなく、私のベッドは急遽持って来られたサマーベッドだったため、寝心地が悪いことを分かっていたらしい。
最後の日に「さよなら」を言おうと思い、ソファの下を覗き込み、猫の鳴き声で話しかけてみたものの、日本の猫なら大抵返してくれるのに、全く無視。
「ドイツの猫の鳴き声は、日本のとは違うのかもしれない」という結論に至る。
日本と異なり、アパートでも、犬や猫を飼っているお宅が結構あります。
動物アレルギーなどの場合、ホームステイ先が決まる前に、「ペットのいない家庭希望」と斡旋業者に伝えておいた方が良いです。
4)留学で私が変化したこと。
ドイツにいる間、私は、同じ大学から参加した子達から、「日本のキャンパスにいる時と、人が変わったみたい。明るくなって良かったね!」と言われました。
私がドイツ語に興味を持ったのは、中学3年生の時に読んだミヒャエル・エンデの『はてしない物語』の「月の子」にふられたルビ、「モンデンキント」の、英語とは違う不思議な響きにうっとりしたからでした。
高校3年間は、NHKのテレビとラジオの「ドイツ語講座」でドイツ語を勉強したのですが、もっと語学としてのドイツ語を知りたくなり、大学でもドイツ語を専攻しました。
大学2年生の時、高校の時のクラスメート達と会う機会があり、その時に、一人の男の子に、「Sanaさんはドイツに行きたくないの?」と聞かれました。
「私、別に、ドイツ語が話したくて、勉強し始めた訳じゃないから…机の上の勉強だけで、充分楽しいし」と答えると、その子は、「俺はこの夏、アメリカに行くんだ~♪俺ってかわいいから、アメリカでモテるかも♪」とおどけておいてから、「Sanaさん、英語の発音、きれいだったじゃん?ドイツ語も相当頑張ってるんじゃない?話さないともったいないよ。行きなよ~、ドイツ。机の上でも楽しいなら、行ったら絶対もっと楽しいから!」と言いました。
その時、私は、「この子の今の言葉は、この子自身の言葉じゃないみたい…神様の言葉を代弁したものなのかも」と感じ、「ドイツ…行ってみようかな」と思い始めました。
高校生の頃の私は、極端に口数の少ない生徒でした。
大学に入っても、それは同じでした。
ドイツでホームステイするまで、「話せるんだろうか…ドイツ語どころか、日本語で話すのも苦手なのに」と、とても心配でした。
心配を抑え込むために、「なんとしてでもドイツ語を話す」と心に決めて、分からないことは聞き返し、どうしても分からない時は辞書を引きました(食事の時でも食卓に辞書を置いていました)。
ドイツでの生活はとても楽しかったですが、楽しい中でも常に「日本にいる時以上に頑張る!」と自分に言い聞かせていました。
ある時、ホームステイ先の様子をお互い報告し合っていた時に、クラスメートから、「Sanaさんのホームステイ先、いいなぁ。とっても楽しそう。うちは、静か過ぎるの!お父さんとお兄さん達はお昼寝するんだけど、その間、お母さんからは「音を立てないで!」って言われちゃう。息苦しい。今度、遊びに来て」と言われました。
それじゃ…ということで、日本人学生何人かで、彼女のホームステイ先に遊びに行ってみました。
最初は確かに物静かなお宅という感じでしたが、お父さんやお兄さん二人がお昼寝を終え、居間に合流し、物静かタイムは終了。
お父さんがピアノで日本の曲を次々弾いてくれたのにはびっくりしました。
「どうしてそんな曲、ご存知なんですか?」と聞くと、「以前ホームステイした子が楽譜を持ってきてくれたんだ。ただ、全部日本語だから、どういう内容の曲か分からなくてね…」とのこと。
取り敢えず、触りだけ日本語で歌ってから、その曲のタイトルをドイツ語に訳したり、内容を説明したりしました。
ドイツ語の単語が分からない時は、英語の単語を伝えてみたのですが、お兄さん達ですら、「その英単語は知らないなぁ」と言うばかり。
例えば、「五木の子守唄」を訳したい場合、「子守唄はlullaby」では伝わらず、「赤ちゃんを眠らせる時に、お母さんが歌う歌」などとドイツ語で説明しました。
一般的に、ドイツ人は日本人よりずっと英語が話せますが、全ての人が英語に堪能という訳ではないことをこの時知りました。
一冊分の説明が終わると、「物静かな」ご家族は、「そういう曲だったのか~!」ととても興奮していました。
最後には、お父さんのピアノ、お兄さんはギターを持ってきて、日本人全員で合唱…とても楽しいひとときを過ごしました。
そのおうちにホームステイしている子には、「Sanaさんのおうちはいいね…なんて言っちゃったけど、あたし、間違ってた。ホームステイ先のせいじゃなかった。Sanaさんが、一生懸命説明しているのを聞いていて、あたしはそこまでしていなかったことに気付いた。これからは、自分から話しかけてみる」と言われました。
ドイツ語で説明するのは、簡単ではありませんでしたが、雑談が苦手な私にとって、話すネタ(=楽譜)があるのはありがたいことでした。
自分が説明したことを、喜んで聞いてくれる人がいるというのも、とても嬉しいものです。
自分としてはがむしゃらに日本語の歌詞をドイツ語に訳していただけなのが、いつの間にかそれがコミュニケーションになっていたことを、クラスメートの言葉から気付かされました。
そうこうしている内に、「ドイツ語で話すと、楽しい♪」と感じるようになり、「もしかしたら、日本語で話すのだって、楽しいのかも」と思えるようになってきました。
ドイツ語に一目惚れしたおかげで、思わぬ気付きがありました。
大学4年生になった頃、あるクラスメートにこんなことを言われました。
「Sanaさんは、入学したての頃より、ずっといい感じになったよね。いつからだろう…ドイツに行った後くらいからかな?」
海外留学で得られるものは、語学の向上ばかりではありません。
未知の世界に飛び込んでみてください♪
自分でも想像できないくらい、自分自身の変化が待っています。